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《誹謗・中傷、暴露系ネタ、アラシ厳禁》
批判してよいのは経験者だけ、ということで…

2017-09-22 Fri 18:00
 9月5日放送のドキュメンタリー番組「ガイアの夜明け」(TX)で、上司が営業マンを説教するシーンが「パワハラだ!」とネット上で批判されたそうです。

 放送は、ライバル・アサヒビールの独壇場である大阪で奮闘するキリンビールの営業マンを主人公に、アサヒの後塵を拝するキリンが起死回生を狙う奮闘記。その中で先輩が主人公に対し、会議の席で

「2倍売るにはどうするんだ?!」

などと迫ります。その後の飲み会の席でも

「お前、今のまま上に上がられたら、下の子がついてこないでしょ。俺できない、知らない、嫌だ。そんな奴にリーダーやって欲しくない。お前、どれだけやっとんねん。やってないねん。やれや。できるやろ」

という言葉を浴びせると、主人公は無言で目を真っ赤にして涙を流す…そんなちょっと昔の体育会的ノリの手荒い“激励”が、一部の視聴者から「パワハラだ!」と批判されたのだとか。

 私は放送を見ていないので本当は意見を述べられる立場にありませんが(本記事の主旨に反しますがスルーして下さい・苦笑)、最初に思ったのは「パワハラだ!」と批判した人々の中に、このドキュメンタリーの主人公のような自分で考え自分の責任で進めなければならない難しい、大きな仕事を任された未熟な部下を相手に愛をもって真剣に向き合い、指導した経験を持つ人が一体どれだけいるのだろう?ということです。

 考え方や価値観は十人十色。どんな意見を持とうが個人の自由です。しかし、それを言葉にしてネットで他者を攻撃(批判)するとなると話は別。最低限、相手(及びその意見を目にする人)を納得させられるだけの理由や根拠を出すべきだと思います。なぜなら上っ面だけ見て安易に評価した意見は稚拙でみっともなく、読むだけ無駄だからです。ですので、それができない人は思いつきで批判しちゃダメですよ。

 例えば

「私も似たような仕事を部下に任せたことがあるが、このようなやり方は失敗ばかりで成功例はない。なぜなら今時の若者は褒めて褒めて褒めまくることで初めて実力を発揮するものだ。したがって主人公の上司のやり方は、私は認めないし、パワハラにしか見えなかった」

なら、正しい意見かどうかはともかく、ひとつの批判意見としてはアリだと思います。

 よく考えれば世の中そういうもの。結婚経験のない人が他人の夫婦生活にダメ出しする。子育て経験のない人が混雑した電車内にベビーカーを持ち込む親を頭ごなしに否定する。介護経験のない人が認知症の妻を介護する夫のやり方に口出しする…どれもおかしな話です。スポーツ経験のないPTAのオバチャンが、たまたまサッカーやラグビーの激しいプレーを見て

「危険だ!子供たちから遠避けよ!!」

と声を上げるのと、この「パワハラだ!」発言はそう大差ないのだろうな、と想像した次第です。

 どんな仕事も大事だし、大変です。営業マンも大変、事務員さんもコンビニ店員さんも大変。しかし本気でお互いの仕事内容やその苦労を理解しようとはしないもの。この主人公のような人を成功に導いた経験のない人は、例えパワハラと感じても言葉にせず心の中に留めておくべきでしょうね。

 ちなみに私はビール業界ではありませんが、同じ営業マンとして厳しいノルマ達成を目指して働いた経験があります。状況は異なりますが悔し涙も嬉し涙も流しました。そんな私はこの記事を読み、当時のほろ苦くも有意義だった日々を思い出します。今、私のために厳しく指導して下さった当時の上司を恨む気持ちは皆無だし、あのような経験ができた私は幸せ者だった。素直にそう思えます。


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ほとんどの“友達”は何らかのメリットを感じるから“友達”でいると思う件

2017-09-09 Sat 17:50
 今週、夕方のニュース番組内で、「SNSでリア充アピールするために必要な(フェイク)友達派遣サービスを利用する20代の社会人男性」を追ったミニドキュメンタリーのような特集を見ました。

 そんなビジネスがあることは何となく知っていましたが、正直最後まで見てもこの男性(及び他の利用者)の考え方、私には理解出来ませんでした。まぁ、利用者本人は私とは違う価値観の持ち主なのでしょうし、こういったビジネスが成立するということは私の方が少数派なのかも知れませんが…。

 私が特に理解不能だったのが、男性が“リア充飲み会”用に雇ったフェイク友達3人との飲み会最後に放ったひと言です。

「(楽しかったので)またこのメンバーで(飲み会)やりましょう!」

…そりゃ楽しかったでしょう。居心地よかったでしょう。相手はお客様であるあなたのために、お金を稼ぐための仕事として楽しい時間を演出してくれたのですから。批判・否定、憎まれ口、彼が興味ない話なんてするわけありませんからね。さぞかし気分よかったことでしょう。

 彼らは決して“友達”ではない…依頼人がどこまで理解していたのか分かりませんが、これって完全にキャバクラで得られる満足と同じでは?業者に接待される企業の購買担当者もこれに近いでしょうか?会話していると楽しいからと、キャバクラ嬢や業者を恋人や友達と錯覚してしまうのと似ています。今は勘違いしていても、後々それに気づく日が来るのでしょうか?

 しかし考え方によっては、そういう関係もアリなのかも知れません。親子なとを除けば、人は何らかの利害関係に基づいて付き合う相手を選んだり、優先順位を決めたりするのが普通です。例えば、

・困ったときに助けて欲しい(助けてもらったことがある)から
・お金持ちだから
・権力を持っているから
・ご近所さん・職場の同僚だから付き合いで
・そのうち付き合ってくれる(結婚してくれる/セッ○スさせてくれる)かも知れないから

など、何かしら期待するから繋がっていようと思うのでしょう。そう考えたら、

・お金↔️楽しい時間



・困ったときの労力・精神的支え↔️困ったときの・労力精神的支え

も、お金が絡むか否かの違いだけであまり変わらないのかも知れません。

 そう考えたら、何ら見返りを求めずに他人に優しく出来る、福祉やボランティアの人って偉いよなぁ…でも彼らも精神的満足が得られるからやっていられるのかな?なんて。

 全てを失って何も持っていない時でも近づいてきてくれる友達が、ホンモノの友達なんでしょうね。


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付き合える部分だけで付き合うという関係

2017-08-18 Fri 20:51
 友人Aが、仲がよく付き合いも長い友人Bに、LINEである画像を送りました。最近不祥事で世間を騒がせた某有名人とAとのツーショット写真です。

 もちろんAはよいネタを仕入れたという喜びや、有名人との接点を自慢したいという気持ちから、親しいBに送ったのでしょう。ところがBはAに「こんな奴(某有名人)の顔なんて見たくない、こんな画像は送らないで」と返信してしまったからさぁ大変!二人の間の空気がおかしくなってしまったそうです(笑)

 私のブログを読んで下さる方なら恐らくAに共感するのではないでしょうか?「Bはわざわざそんな冷たい言い方せず、興味なければスルーすべきだ!」という意見が多数派かと思います。

 しかし、両者を知る私から見ると、必ずしもそうではないんですよね。A・B両者は価値観が違うので、本来お互いがそれを前提に相手を思い遣らなければならないのです。

 Aは、例えば仕事仲間として知り合い、ウマが合うと、こんなに気が合うのだから一緒にスポーツ観戦も、酒を飲みにも、ツーリングにも行こう!いや、大丈夫大丈夫、今は興味なくてもやってみれば絶対楽しいから!!または、アイツならオレの心の内を理解してくれるに違いない、と1から10まで自分の趣味嗜好や価値観・思想への理解を求めるタイプ。だから相手が無関心なことでも理解し、寄り添って欲しがる(生返事でも相手が肯定すれば満足)。

 しかしこのタイプは、上手く付き合えている間はそれなりに居心地が良いですが、何か一つギクシャクしてしまうと、全てが崩れてしまいがち。人間性そのものを疑われ、無関係のスポーツ観戦やツーリングを楽しむことからも手を引かれてしまう。

 対してBは、お互いの共通点がスポーツ観戦と酒を飲むことであれば、最初からこの2点だけで付き合うタイプ。お互いの他の趣味嗜好やプライベート、思想や価値観については良くも悪くも無関心。相手から押し付けられることも嫌います。よってスポーツ観戦やツーリング中に直接揉めない限り、例え相手が軽犯罪で逮捕されようが不倫して世間から叩かれようが付き合いはこれまで通り継続してくれる。

 実は私もこれまでAタイプでした。したがって似たタイプの人とだけ付き合って、「俺は自分を100%理解してくれる親友たちに囲まれて幸せだ」と充実した気になって過ごしていました。しかし近年はBのような人もいることを理解して、(たまにムカッときますが・笑)積極的に付き合うようにしています。滅茶苦茶気の合う親友って、実はさほど関係が長続きしなかったりしますが、付き合える部分だけで割り切って付き合うのは意外と気楽に長く付き合えそうな気がするからです。

 結論としては、私的には、Bと長い付き合いにもかかわらず、AはBのことを理解していないな、もし理解していながら画像を送ったのなら、(Bなら優しいから自分に耳障りの良いコメントを返してくれるに違いない)と甘えていたのだろうな、と思った次第です。

 そういえば社会人になりたての頃、上司から「学生と違い社会人は嫌いな人、苦手な人とでも、良いところを見つけて付き合わなければならない」と教わったことがありました。あれは単に我慢しなさい、というのではなく、今まで経験したことのない種類の人付き合いが経験できるよ、という意味も含んでいたのかも知れませんね。

 今さらながら一つ成長した気がします。


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「外向思考」と「内向思考」一緒に旅行するなら同じタイプ同士で?

2017-07-28 Fri 21:54
 いつもお世話になっている理容師のお兄さんがこの夏、広島県の尾道に旅行する予定だと聞きました。目的はいわゆる“尾道三部作”のロケ地巡り。今風に言うなら聖地巡礼です。彼はこれらの作品をリアルタイムで体験しており、今でも大好きなのだとか。「ようやく念願が叶う」と喜んでいました。

 私は残念ながら尾道三部作には興味ありませんが、彼とは思考が似た所があるので喜ぶ気持ちはよく分かります。興味ない人は何も考えず素通りする、ただの石段に思いを馳せながら、そこにいつまでも佇んでいたい。そんな楽しみ方も十分理解できます。

 でもこんな時、私らの気持ちが理解できない人をうっかり同行させてしまうと、全く楽しくない時間になってしまいます。旅行ならなおさらです。こんな時、私はつい「なぜアイツはこんなに素晴らしい楽しみ方が理解できないんだ?」と否定しがちですが、実は仕方のないこと。なぜなら、人の性格には「外向指向」「内向指向」が存在するからです。

 「外向」「内向」といっても、明るく社交的だとか、引っ込み思案で大人しい、という意味ではありません。ここでいう「外向」とは自分の外側、つまり人や物に価値を見い出すタイプです。友達がたくさんいる、膨大なコレクションを所蔵している、毎日遊ぶ予定や人と会う予定に囲まれて生活することを重視するタイプ。SNSが大好きな人は、ほぼこのタイプでしょうか?

 一方「内向」は自分の内側、例えば思想や価値観を大事にするタイプ。外向と違い多くの友達と広く浅く付き合ったり、SNSの世界でたくさんの友達(フォロワー)を作ってリア充自慢したりすることには価値を感じません。むしろ苦手です。それよりも「自分には3人しか友達はいないが、3人とも心を開いて何でも話せる、一生付き合える親友だ。俺はこんな素晴らしい友達を持っているんだ」という自分の価値感に納得して生きることに幸せを感じるのです。

 私は昔から内向タイプですが、まだそんな違いが分からなかった頃、不運にも外向タイプの友人と一緒にアメリカ・ロサンゼルスに旅行してしまったことがあります。お陰で旅行期間中ずっとストレスを感じてしまいました(笑)

 当時の私は、映画や音楽が好きだったので、ロサンゼルスでは大作ハリウッド映画で見たことのある建物や風景を見つけては時間をかけて眺め、映画のストーリーを思い出しました。ジギー・スターダストを演じていた頃のデヴィッド・ボウイやモット・ザ・フープル、アイアン・メイデンのライブアルバムが録音された、伝説のコンサートホールの前で当時の熱気を想像しました。買い物したお店の店員さんが暇そうなら、積極的に英語でお喋りしました。ウォークオブフェイムを一つ一つ眺めながらハリウッドブルバードをゆっくり歩きました。

 しかし、別行動を却下し、あくまでも私の行動に付き合うと約束したはずの友人は、行く先々で退屈そうに「ねぇ~まだ~?」と愚痴る。ならばお前はどこへ行って何がしたいんだよ?!と訊ねると、日本人でも知っている観光地を巡って写真を撮り、お土産を買いたいだけ。アメリカに行った既成事実(写真)と、それを誰かに自慢する時に必要なフック(お土産)が欲しかったのでしょう。私が「現地でアメリカを体験する自分」で心を満たしたいと考えるのに対し、彼は「アメリカ旅行を自慢した時に驚き、羨ましがってくれる、日本にいる友達や仲間」で心を満たしたかったのでした。

 これは、あくまでも思考の個性の違いの範疇なので、どちらが正しいということではありません。しかし当時の私たちのように、この違いを理解しないまま一緒に旅行してしまうと、せっかくの旅行を心から楽しむことは難しい。逆に考えると、いつも一緒に旅行に付き合ってくれる友達の中の何人かは、こうした不満を抱えつつも我慢して自分に合わせてくれているのかも知れませんね。

 …と、私主体で語ってしまいましたが、「外向指向」の人は私とは全く違う主張をしたり、私が思いつかないような理由で自身の思考を推すのでしょうね(笑)

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“あの人”に言いたい「女を下げるよ!運気が下がるよ!!」

2017-07-18 Tue 21:08
 若い頃、ムカつく上司やバ○な先輩に腹を立て、親しい友人や先輩に酒を飲みながら不満をぶちまけると、よくこう言われました。

○○(私の名前)、お前の気持ちは分かるが、それを口にするとお前自身、男を下げるぞ

 また、やることなすことダメダメな先輩のエピソードを、面白おかしく後輩相手に披露した時も、こう言われました。

話は面白いですけど、あの人の話をすると運気が下がりそうですから、もうやめましょうよ

 私はその時は(ちぇっ、つまんねぇの)と、彼らの反応に不満を抱きましたが、後々振り返ると彼らの言う通りです。そういう話はいくら私の主張が正しかったとしても、全く前向きでないし、聞かされる方も堪りませんよね。一時的に自分はスッキリして気持ちよいですが、周囲の自分への評価は下がります。それに気づいた私は、以降、相手が求め、許可しない限り、そういった話題は避けるよう努めました。

 最近の報道で松居一代のブログ記事やユーチューブ動画を見ていると、彼女はきっとまだそれに気づいていないんだろうなぁ、と思わざるを得ません(笑)

 …まぁ、SNSを使って不特定多数の方々相手に不満を垂れ流す点では、私も似たようなものかも知れませんが(苦笑)

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許可なく“させていただく”アイドルたち

2017-07-03 Mon 00:00
 私は秋元康配下のアイドルグループ(48グループ・坂道シリーズ)に好感を持っています。その理由は「可愛い」でも「歌やダンスが好き」でも「面白い」…でもありません。言葉使いがよいからです。

 具体的には、テレビで司会者や他のタレントと言葉を交わす際、また公式ブログの中で、メンバーの誰もが人名、店名などの固有名詞に「~さん」を付ける。さらに自分の活動・行動について「~させていただく…」という丁寧な言い回しをするのです。

 特に後者については以前から感心しまくりでして

「先日ニューシングルをリリースさせていただいたんですけど…」
「○○という番組に出させていただいた時に…」
「握手会をさせていただ時に…」

など、恐らく周囲の大人たちに教育・指導されているのでしょうが、よくできたOL感・大事に扱いたくなる部下感が凄いです。連発されると違和感ありますけれどね(笑)

 もし、これを読んで「え~そうかな~?」と疑う人がいたら、ご自分の日常を思い出して下さい。

「会議資料をコピーさせていただく」
「スーパーに買い物に行かせていただく」
「大学の課題を提出させていただく」
「公園のベンチに座らせていただく」

…一度でもこのような謙虚な気持ちになったこと、それを口に出して感謝したことがあるでしょうか?ちなみに私はなかったので反省しました(笑) もしなければ頭ごなしにバカにせず、少し見習ってもよいと思いますけれどね。昔のアイドルの口ぶりといえば「え~わかんなぁ~い」「全然興味ないしぃ~」みたいな、ちょっと大人をバカにした口ぶりというイメージがありますが、彼女らが年配層にも広く支持されている理由のひとつは、これなのかも知れませんね。

 ところが最近知った事実によると、この「~させていただく」という言い方は、本来相手の許可を得て行うことに対して使うのが正しいそうです。例えば「立ち入り禁止の部屋に入らせていただく」のように。したがって「お中元を贈らせていただく」は一見よさそうですが、普通は相手の許可は得ずに一方的に贈るため「お中元をお贈りする」で構わないそうです。

 ということは「ニューシングルをリリース」も「握手会」も特にファンの許可を得て行っているわけではないので、厳密には正しい言い方ではなさそうですね。

 でも、そんな言葉使いを不快に感じる人よりも好感を抱く人の方が圧倒的に多いでしょうし、私はこのままでよいと思いますよ。

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暴言・暴行と高い仕事要求レベルは別モノ

2017-07-01 Sat 00:00
 今週は、秘書への暴言・暴行問題で自民党に離党届を提出した豊田真由子衆院議員の話題で持ち切り(?)でした。

 もちろん私も彼女の暴言・暴行は完全にアウトだと思います。誰かが言う通り、あれはある種の快感を伴ったS的仕打ち。擁護の余地はありません。

 しかし改めてテレビ報道を見て思ったのは、暴言の内容そのものよりも、激しく捲し立てる口振りや、相手をバカにするようなミュージカルや赤ちゃん風(?)口調、「死ねば?生きる価値ないだろ?」という人権否定などが派手にクローズアップされがちですが、彼女が秘書(ドライバー)に要求していること自体は、割りと普通かな?ということです。

 ただ、秘書が彼女の高い要求レベルを満たすだけの資質を兼ね備えていないので、常にイライラする。かといって政治家と秘書の関係なんて、終身雇用型の企業の上司と部下のそれとは違うから、怒りを抑え、時間をかけて教育する気も更々ない。その結果あのような扱いになるのかな、と。

 そう思ったのは、最近テレビのインタビューに応じた一人のドライバー(やり取りを録音した人ではない)の話でした。彼が配属初日に豊田議員を乗せて公民館(?)に向かった際、手前に設置された方向指示の看板を見落とし、逆の道を進んでしまった。すると「看板があっただろうがァ~!!」とブチ切れられたそうです。また、公民館の玄関正面に車を停めたら、「こんなところに停めたら支持者(有権者)の邪魔になるだろうがァ~!!」とブチ切れられ、少しずらして停めさせられたとも言います。

 つまり、あくまでも豊田議員をイラつかせる原因を作ったのは秘書であり、彼女は決してその時の気分で罵倒しているわけではなさそう。問題はそれが「初めてなんだからできなくて当たり前」と考えるか、「多忙な政治家の運転手を勤める以上、逐一教えなくても配慮できて当然」と考えるか、その違いでしょう。その考え方のズレが今回の騒動の根源のような気がします。とはいえ、悪い噂が広まっては、あの人のもとに優秀な人材は来ないでしょうから、彼女自身がもっと早くやり方を変えるべきでしたね。

 サラリーマン社会でも、このような要求レベルの高い上司はいます。私の新卒社会人時代の課長がそうでした。教わっていないことでも自分なりに調べ、先輩に質問し、満足に対応できないとすぐに不機嫌になってしまう。「あれはどうなった?!」と問われそうなことを事前に予測して完璧に回答できるようにしておかないとガミガミ怒られてしまう。今となっては懐かしい思い出ですが、お陰でずいぶん鍛えられたと思います。

 明確に決められた自分の守備範囲だけを、教えられて初めて言われた通りに遂行する。当たり前だし、それだけで十分幸せに生きている人はたくさんいます。しかし世の中にはそれでは満足してもらえない社会、乗り切れない社会もあるということでしょうね。

 もちろん暴言・暴行はだめですか(笑)



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悲しみのどん底でブログを認める理由

2017-06-29 Thu 00:00
 先週、妻・真央さんを亡くした歌舞伎役者の市川海老蔵氏。彼がこの状況にもかかわらず頻繁にブログを更新していることを指摘(非難)する声が上がっているそうです。

 そんなことをいちいち指摘する人って、どんな神経の持ち主なんだろう?と思わず失笑してしまいます。私が想像するに「愛する者を失ったばかりで、まだ喪に服してじっと大人しくすべき時なのにSNSに夢中になるなんてどうかしてる!」と、彼を否定したいのでしょうね。もしかしたら「本当に悲しんでいるのか?!」と問い質したい人もいるかも知れません。

 海老蔵氏はこれに対し「居ても立っても居られないとき、私はブログが1つの支えになってます。皆様のコメントや こころの在りようを表す事で少しだけ 気を取り戻せるような気もするのです。お許しくださいね(※原文ママ)」とコメントしましたが、私にはその前から何となく彼の気持ちが分かりました。

 2年前、私は家族同然に可愛がっていた愛犬を亡くしました。今回の海老蔵氏の状況と同じ、とは言いませんが、当時の私も悲しみが大きすぎるあまり精神的に不安定で、何も手に着かないし、どこにいても悲しみの重圧に押し潰されてしまいそうでした。

 そんな私が少しだけ安らげたのが、愛犬を失った心境をブログに認(したた)めている時でした。もちろんそんな個人的なネタ、どうでもいい、わざわざ読みたくないという人が大多数だろうとは理解済みです。でも私が心を開けるのは家族か、ごく一部の親しい友人くらい。家族は私同様沈んでいるし、友人も話くらい聞いてくれるでしょうが、気分が重くなるだけで楽しいはずありません。

 だったらブログに認めよう、同じ悲しみを体験した人が読者の中に一人くらいいるだろうから、理解してもらえる…かも知れない。それを期待した方がよほど気が紛れたものです。ですので現在の海老蔵氏はそれと同じ、いえそれ以上のどうにもならない気持ちを紛らわすために、ついブログを更新してしまうのだろうな、と想像した次第です。

 したがって、彼を「ブログ更新しすぎ!」と批判する人は、そんな経験をしたことかない人か、またはSNSの類いとは無縁な人かのどちらかでしょうね。でも、自分が理解できないからと相手を否定し、さらに直接(間接)的に本人にぶつけてしまうのはあまりにも乱暴では?子供の頃教わりませんでした?「何事も相手の身になって気持ちを想像しなさい」って(苦笑)


 そして今回、私が個人的に思うこと。それはこれらの意見と矛盾しますが、ブログ(SNS)は確かにあの時役立ちました。しかしやはり自分のために悲しみという名の重荷を一緒に背負ってくれる人、信頼できるリアルな人間関係も常日頃からもっと構築しておくべきだったな。それがSNS以上に大切なんだろうな、ということです。例え一時的に相手に重荷を背負わせ、楽しくない時間を強いたとしても、いずれ自分がその“お返し”をするチャンスがきっとあるからです。

 相手から思わぬ優しさを受け、その借りを返す。その小さな積み重ねがお互いの信頼関係を強固なものにしてくれると思います。SNSにここまでの効果はちょっと期待できないかなぁ…。
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私的「飲み会NGトーク」

2017-06-27 Tue 19:05
 元日テレアナウンサー・魚住りえ氏のネット連載コラム「『話し方&聞く力』教室」が好きでよく閲覧します。

 知っているとあらゆるシーンで役立ちそうな、相手によい印象を与えやすいコミュニケーションノウハウを紹介する当コラム。私は長い人生経験から既に理解していることが多いのですが、昔とは違う常識、時代とともに変化した価値観も織り込まれていて参考になります。

 最近読んだテーマは「嫌われる人の『飲み会トーク』、よくある7大NG」。結論は

【1】「自分の話」ばかりする、「武勇伝」をやたらと語る
【2】すぐに「説教」を始める
【3】「愚痴・悪口」ばかりを連発する
【4】セクハラ・下ネタトーク
【5】本当に「無礼講」をしてしまう
【6】「政治談議」を得意げにする
【7】「写真撮影」や「SNS投稿」に夢中


でした。私もかつて上司にされて嫌だったこと、逆につい部下や後輩にやってしまったことも多いですね。耳が痛いです。

 一方、【4】なんて一昔前なら全然アリでした(?)が現在はこの通りご法度。【7】は比較的新タイプのタブーですが、確かにイラっときます。このような昔と違う新たな価値観を学べて面白いですよね。

 魚住りえ氏の言う通り、このテーマならここに挙げられた7つがトップNGでしょう。そこで私も、個人的にNGと感じる「飲み会トーク」をいくつか考えてみました。

【同じネタの繰返し】
 旅行中のハプニング、美味しかったお店、感動した出来事、苦労した仕事…誰かが最近体験したエピソードを披露すると「俺も前によぉ…」と乗っかってきて自分の体験談を披露する人がいます。しかし聞けばいつも同じ話。しかも10年以上前の出来事だったりしてうんざり。10年以上もの間、他に語れる経験をしていないの?と突っ込みたくなります。

 経験談はなるべく新鮮で手付かずのものを披露したいですよね。そのために常日頃から積極的に色々な経験を積むよう心がけたいものです。


【博識を気取りつつ実際は薄っぺら】
 政治・経済、注目のスポーツイベントやAKB総選挙まであらゆるジャンルの話題を振ってくる人。世間の関心事に敏感なんだな、勉強してるんだな、と感心しますが、よくよく聞くと言っていることは今朝読んだYahoo!ニュースのヘッダー情報の範囲内。相手がその道に詳しければ一発で博識者気取りがバレてしまいます。

 過去、私の周りにもいました。プロレス通を気取りながら語らせると馬場・猪木止まり。映画やドラマにもなった少年ジャンプの人気漫画「デスノート」をただの殺人物語だからあんなの面白くないと否定(実際は巧妙な心理戦が見所。つまり読んだことがない)。要するに時間をかけて知識を仕入れるのは面倒、でも手っ取り早く「何にでも詳しいんだね!」と尊敬されたがるという身勝手な人たち。

【自分の価値観以外否定・男女の価値観の違いを知らずに否定】
 自分の価値観が全て、他者の異なる価値観は頭ごなしに否定、というのはもちろん気分悪いものです。

 また、価値観の違いの中には、男女の違いから生じるものも多々あります。それを知らずに異性を否定していませんか?例えば、「女は合コンに『可愛い子を呼ぶ』と言いながら、必ず自分よりブスを連れてくる」や「家計が苦しいのにママ友グループの食事会で3千円のランチを食べるなんて」は、一見男性には理解し難いことですが、ベースには男女の違いからくる価値観のズレがあるわけです。それを知らずに否定すると稚拙に見られてしまうこともあると思います。


【仕事の話】
 百歩譲って世間話に近い緩めの話、業界話や儲け話はOK。

 しかし打合せテーブルや会議室ですべき打合せや議論は迷惑。自分の苦労話や武勇伝、つまり話す本人以外面白くも何ともない話も最悪。


【いじられキャラの友人のエピソード】
 共通の友人・知人に愛されキャラがいると便利です。その人がそこにいてもいなくても、とりあえずその人の失敗談や笑えるエピソードで場を持たせられますからね。ただしそんな話題ばかりでは何のための飲み会なのか分からず無意味な時間になるだけ。


【頻繁に仕事の電話で中座】
 仕事の内容や立場によっては四六時中電話を手離せない人もいます。しかし飲み会の席で度々電話を受ける人の多くは、私の経験上単に段取りをつけられない人、きちんと情報伝達できない人、指示が曖昧・いい加減な人、優先順位がつけられない人などでした。

 ところが本人はそれに気づかないので「仕事の電話だから仕方ない」とコールが鳴るたび中座しまくり。場をシラケさせてしまう。その結果両者の溝は広がるばかり。


【内輪ネタ】
 百歩譲って、第三者も理解出来るよう解説しながら、その場にいる人たちを巻き込んで話すならアリか?さらにそれが内輪ネタでも面白い話、有益な情報ならOK。それ以外は最悪。


【人生論・明日からまた頑張ろう的トーク】
 若い頃はこういうノリで飲むのが大好きで、お互い腹を割って自分を曝け出し、同じ価値観を持った相手と励まし合うと精神的に救われました。こういう飲み会があったからこそ辛いことも何とか乗り越え生きてこられたと思います。

 でも今ではこういうのはウザいと感じるお年頃です(笑)

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“声かけ不要バッグ”は一種の職場放棄

2017-06-08 Thu 00:00
 “声かけ不要バッグ”を採用するアパレルショップが増えているようです。

 “声かけ不要バッグ”とは、来店したお客さん用の手提げ袋で、例えるならスーパーの商品カゴのようなもの。店内でこのバッグを手にしている限り店員さんは接近してこないため、望まない接客で煩わしい思いをすることなく一人でゆっくり商品を物色出来るというわけです。

 中には「店員さんの職務を否定するみたいでよくない」「店員さんとの会話から知る情報、新たに気づくこともあるのだから、端から拒絶すべきではない」という反対意見もあり、現時点では半分テスト段階かも知れませんね。

 私は最初、これはアリだと思いました。しかし「マニュアル通りの声かけなら要らない」という声かけ不要バッグ肯定意見を見て、お店もお客さんも接客の本質を分かってないのかな?と思うようになりました。

 お客さんごとに最適で気持ちのよいアドバイスが出来る、接客(コミュニケーション)スキルの高い店員さんではなく、明らかにマニュアルに則った接客をしているな、と感じる店員さんは確かにいます。私の印象では、やはり低価格の商品を扱うアパレルショップに多いでしょうか?マニュアル通りの接客が必ずしも悪いとは思いませんが、ストレスを感じやすいことは確かです。

 例えば、私が冬にあるお店を覗いた時のこと。若い女性店員さんから「厚手の暖かいくつ下」をしつこく勧められたことがあります。確かに厚くて暖かそうでしたが、登山が趣味の私はこれより厚いくつ下をたくさん持っていたので、「いっぱい持ってるから結構です」と何度も断りました。

 ところがこの店員さん、私が嘘をついていると思ったようで「(疑う様子で)え~本当ですか~?」と疑ったのです。そこで私は、面倒臭いと思いながらも登山云々説明しました。この店員さんの場合、

○私の悩み事(ニーズ)を聞き出そうともせず、一方的に自分が売りたいものを売りつけようとした
○客の言うことを疑った
○客に本来不要な説明(登山云々)をさせた
○スポーツウェア寄りのカジュアルウェアを扱うお店の店員なのに登山ウェアの知識を持ち合わせていなかった

など、アパレルの店員さんとしてはちょっと“残念”でした。

 また、同じ系列の別のお店の女性店員からは、私が色違いのどちらの色にしようか悩んでいるのを見て、「(体に)合うサイズがないんですか?(笑)」とバカにされたことがあります(ちなみに店にあるサイズは最大2L。私が買おうとしたのはL)。こうなるとマニュアル以前の問題ですよね。0点、いやマイナス点です。

 これらの店員さんには、接客はもちろん視界にすら入って欲しくありません。せっかくの買い物という楽しいイベントをぶち壊されて嫌な気分にさせられるからです。欲しい商品を見つけても別の店舗で買いたくなりますね。

 でも、中には接客の上手い店員さんもいます。

 登山云々話したら「私も登山やりたいんです!」と食いついてくれ、「くつ下が間に合っているのでしたら、こんなニット帽はいかがでしょう?毛糸とほとんど変わらないのですが、実はアクリルなので洗濯機で丸洗い出来るんですよ」「登山には少し嵩張るかもしれませんが、このマウンテンパーカーはゴアテックスと同じ素材で出来ているので、絶対に風を通さなくて暖かいですよ」なんて親身に提案されたら買うつもりなくても買っちゃうし、この店で買い物して楽しかった、また来ようと思うもの。

 「このTシャツは1枚3,000円と少々高めですが、品質がよくしっかりした作りになっています。お客様ですと…Mサイズくらいでしょうか?」なんて言われたら嘘でも嬉しいから、勧められるがまま全色買ってしまうかも知れません。その後もこの店員さんの顔を見たらまた何か買ってあげたいな、と思うもの。人間ですから(笑)

 要するに、本来買い物って楽しいイベントなんですよ。それをもっと楽しく演出してくれる(接客)なら是非欲しい。でも楽しい気分をぶち壊される演出(接客)なら要らないよ、それだけなんですよね。

 そう考えると声かけ不要バッグという試みは、「うちの店は全てのお客さんに満足される接客が出来る自信がありません」という一種の職場放棄のようで消極的です。本当なら店員さんを教育して、誰にでも通用する質の高い接客を目指す。その結果売上を増やすというのが望ましいはずですからね。

 まぁ、実際には人材が集まらない、育てても短期で辞めてしまうから、あまり長期的な試みって考えられないのでしょうね。


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