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《誹謗・中傷、暴露系ネタ、アラシ厳禁》
34年前の価値観をゴリ押しする「24時間テレビ」を考える

2012-08-30 Thu 00:00
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 今年もいつの間にか「24時間テレビ 愛は地球を救う」(日テレ系)が放送されていましたね。もう35回目ですか。…ちくしょう!!1年間放送を心待ちにしていたのに見逃しちまったぜ…というのは冗談です(笑)

 しかし、この番組への批判は毎年物凄いですね。今年も各所で耳にしました。

・チャリティー目的の番組なのにテレビ局は広告料でガッポリ儲け、出演者にはギャラが支払われる。単なる偽善番組だ。
・マラソンなんて意味がない、毎回放送終了間際ギリギリにゴールするのも不自然。
・障害者を晒し者にして視聴者の同情を買おうとしている。


これらがここ数年の3大クレームでしょうね。まぁ私は視聴していないので何とも評価出来ませんが…。

 でも今回放送された企画「義足の少女が屋久島登山に挑戦」には、山登りを趣味とする者としてちょっとだけ興味を持ちました。台風の中、身体の不自由な少女が登山…地元ガイドさんがブログで暴露したTVスタッフのマナー違反…とりあえず

「オレまだ登ったことないんで、汚したり壊したりしないでね。あと問題起こすと立ち入り規制エリアが広がっちゃうかも知れないから無茶は止めてね」

とだけ言わせて下さい(笑)


 さて、今回も(多分)色々あった「24時間テレビ 愛は地球を救う」ですが、私が常々思っていることはただ一つ。

“20世紀から21世紀に時代も変わって10年以上経つのに、日テレはいつまで34年前と(ほとんど)同じ価値観をゴリ押しするつもりなんだろう?”

ということです。

 番組が始まった1978年当時は、まだ深夜放送や同一番組の24時間ぶっ続け放送が珍しく新鮮でした。娯楽も今より少なくインターネットも無いテレビ中心の社会でした。募金しに行って芸能人に会った(近くで見た)ことが周囲に自慢出来ました。そしてほとんどの視聴者が番組に疑問を持つことなく素直に募金出来ました。そんなほのぼのとした時代でした。だからこのような番組が視聴者にヒットし、我われも割と素直に食い付くことが出来たのでした。

 しかし34年も経った現在ではメディアが多様化して情報が溢れ過ぎています。視聴者も情報武装して賢くなり過ぎてしまった反面、心に余裕が無いので隠し切れないネガティヴな裏事情には敏感です。芸能人はネットや握手会(笑)で繋がれるくらい身近だし、会えたら嬉しさのあまり腰が砕けてしまうほど憧れるスターなんて今さら存在しない。

 視聴者のライフスタイルも変化しました。経済の中心は製造業からサービス業へ。日曜日を休める人も減りました。テレビを見る時間だって減少傾向。

 …にもかかわらず、テレビ局は基本的に34年前と同じコンセプトで同じような番組を作り続けているわけです。こんな方法でなくとも善意の募金が集まるのは昨年の東日本大震災後の報道を見れば明らかなのに、です。番組の真の目的がチャリティーなどではなく、利権確保や局のイメージアップであることは容易に想像出来ますね。

 それでも優しい視聴者たちは募金することの大切さを理解しています。何となく昔からの流れでこの日に動くようになってしまったんです。実際多額の募金も集まっていますが、多くの視聴者の本音は、“募金はするけど、こんな愛も思いやりも欠ける、配慮の足りない番組の呼びかけで素直に募金しに来たと思われるのは真っ平御免”…そういうことではないでしょうか?

 やはり「24時間テレビ」には下手糞な企画や演出なんて必要無くて、貧困でも苦しみでもありのままをストレートに視聴者に訴えるべきじゃないですか?昨年の東日本大震災後の被災地の風景や仮設住宅で過ごす人々の映像に、番組オリジナルTシャツを着たタレントや、お涙頂戴的演出や、臭い歌詞の応援歌が必要だったでしょうか?

 なぜ今さら作り物臭プンプンのお涙頂戴的コンテンツを24時間もぶっ通しで押し付けられた挙句“騙されて”あげなきゃならないのか…?視聴者とテレビの間の溝は年々深くなっているように感じます。


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