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なぜ日本のハロウィンは“好きなコスプレして繁華街を徘徊するイベント”なのか?

2014-10-30 Thu 00:00
 私は小さい頃からプロレスが大好きでした。特に覆面レスラーが好きだったので、小学6年生の時にお小遣いを貯めて覆面を買おうとしました。しかしそれを知った父から激しく怒られたのです。理由は、

「覆面を被ってプロレスラーになった気分を味わいたい?それは例えるなら仮面ライダーの変身ベルトを装着した途端、本当に仮面ライダーになったと思い込み、目の色を変えてショッカー(一緒にいる親戚のオジサンたち)を倒そうとする小っちゃい子供と同じ。お前はもうすぐ中学生なのに、頭の中身は小っちゃい子供のままでよいのか?」

でした。

 この言葉は私の心に強く響きました。そんな経験もあり、今ではテレビやイベント会場で(小さい子供は別として)コスプレに命を懸けるイイ年した大人を見ると、つい軽い優越感に浸ってしまいます。(コイツらイイ年して小学生時代のオレが悟ったことにまだ気づいていないんだ♪)と(笑)

 まぁ実際には、生まれた時代や育った環境により考え方は人それぞれですから、私の常識が唯一絶対だとは思いません。他人の趣味嗜好を否定するのもよくないですし。

 ただ、このように理解しつつも、どうしても受け入れ難いと感じることがあるんです。それは、いつの間にか“好きなコスプレして繁華街を徘徊するイベント”となってしまった日本のハロウィンです(笑)

 なぜこうなったのか?私なりに考えてみました。

【1】単に騒ぐきっかけが欲しいだけ
 普段はスポーツや各国のサッカーリーグには無関心。でもサッカー日本代表の試合にだけは敏感で、試合当日はレプリカユニフォームを着て渋谷に集まり騒ぐ輩たち。あれのハロウィン版みたいなものでしょうか?

【2】新種のSNS的コミュニケーション
 時間をかけて相手をよく知ろう、自分の魅力を伝えようという、昔は当たり前だったはずの“友達になるためのプロセス”が、SNS全盛の現在では軽視されがちです。

 逆に他人と深く関わるのは面倒臭い、SNSで表面的に繋がった知り合いと面白おかしく過ごす方が気楽だ、という考え方が氾濫しているようにも感じます。

 コスプレもそんな表面的に繋がる知り合いを手っとり早く集めるための手段のひとつなのかも知れません。相手の素性や考え方は分からないし興味もない、知るのも面倒。でも、クオリティの高い孫悟空のコスプレから「ドラゴンボール」が相当好きなことは想像できる。だから「ドラゴンボール」という点だけでこの人と繋がってみたい…そんな人にとってこういうイベントってお誂え向きなんでしょうかね?

【3】他人から存在価値を認めてもらえそうなアピール材料が日常生活の中に特にない
 決して悪意はないのですが…この世の中、勉強が嫌いで嫌々学校に通った人、自分の仕事内容を説明しても相手に興味を持ってもらえない人、他人から称賛される趣味や特技を持たない人、建設的な付き合いが苦手な友達しか持たない人、自分に投資して自分を変えようと思わない人…そんな人々が多数派なのかも知れません(良い・悪いは別として)。

 となると、日常の中で「これが私です!」とアピールできること、アピールする機会、相手から「へぇ、凄いね!」と評価されることってほとんどない人が大半なのでしょうか?

 しかしコスプレなら比較的簡単に自分の嗜好をアピールすることができるし、見ず知らずの相手からのクイックな評価にも期待できます。そう考えると年に1回の“好きなコスプレして繁華街を徘徊する日”を待ち望む人は意外に多い…?

 
 まぁちょっと疑問に感じただけなので、答えはどうでもいいんですけど(笑)

 私の場合は、自分に特別な自信を持っているわけでもないし、必要以上に自分が好きなわけでもありません。それでも自己満足目的で他の誰(何)かになりきりたいとは全く思いません。自分要らないですもんね。私は私。それで十分です。



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