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認知症老人の徘徊を100%防ぐのは(非人道的手段を用いない限り)無理な件

2016-03-05 Sat 00:00
 今週、ひとつの注目すべき判決が出ました。

 2007年に愛知・大府市で、妻がうたた寝をした隙に認知症の男性(91)が自宅を出て徘徊し、JR東海の電車にはねられ死亡しました。この事故をめぐり争われていた裁判で、最高裁は今月1日、「家族に賠償責任はない」との判決を言い渡したのです。

 そもそもこの事故、認知症の老人が徘徊中に起こした列車事故。彼を介護していた家族に賠償責任があるかどうかが裁判で争われていたわけですが、JR側は「事故で電車が遅れ、振り替え輸送の費用などがかかった」として、男性の妻と長男に損害賠償を請求。2審の名古屋高裁は「認知症の夫を見守る監督責任があった」として、男性の妻(当時85)に約360万円の支払いを命じていました。

 しかし今回の判決では、最高裁は妻について「認知症の人と同居している配偶者だからといって、ただちに監督義務者になるわけではない」と指摘。また、男性の長男についても「20年以上同居しておらず、監督義務者には当たらない」として、今回のケースでは「家族に賠償責任はない」との判決を言い渡したわけです。

 私はこれを聞いて、恐らく今後多発するであろう、同様の事故およびその裁判にとって、今回の判決は良い前例になったと思います。…被害者の長男が途中で諦めてしまっていたら、どうなっただろう…?と考えるとちょっと怖いですけれどね。

 JR側も恐らくこんな裁判は起こしたくなかったのでしょうが、電車が止まってしまい多くの乗客に迷惑をかけてしまった、しかも(多分)前例がないという状況では、とりあえず訴えざるを得なかった…と、私は勝手に良い方に想像しています。

 実は私の母もずっと認知症でして、数年前までは、やはり家族が知らぬ間に家を出て徘徊することが何度もありました。私や父はその都度必死に探したものです。

 私が母を見てきた経験上、認知症の人が自力で戻れない状態にもかかわらず徘徊するのは、病状の進行に伴う一定の期間のみです。それ以降はドアの鍵を自分で開けられなくなり、さらには徘徊そのものへの欲求が低下してゆくもの。ただ、その“徘徊期間”中の家族の苦労はかなりのものです。

 母が徘徊するようになった頃、私は早朝に出勤して深夜に帰宅、休日出勤も頻繁にあり、たまの休日には目いっぱい趣味に生きる…そんな日々でした。そのため24時間母と共に過ごす父の苦労は想像すらしなかったわけです。しかしある年、私は兄弟を呼んで母の日を祝う食事会を開催しました。たまたまこの会で利用したのが韓国料理店だったため、辛いものが苦手な父は肩の血行が悪くなってしまい(辛い物を食べるとそのような症状が出る)、近くのマッサージ店に寄るため私が母を連れて先に帰宅することになりました。

 ところが帰宅すると、母の“徘徊したいモード”が始まります。ちょっと目を離すとすぐに玄関から外に出ようとする。私は適度に酔っていたのに昼寝することも出来ず、父が帰宅するまで…僅か1時間程度でしたが…ずっと母を監視しなければなりませんでした。これを毎日24時間続けている父は大変なんてものじゃないな、初めて現実を知ったような気がしました。

 もし当時、これだけ家族が努力していてもある日母が一瞬の隙を突いて徘徊に出てしまい、電車を止めてしまったら…?それを裁判官や世間から「監督責任を果たしていない」と言い放たれてしまったら…座敷牢にでも閉じ込めない限り、正直お手上げ、ギヴ・アップです。

 また、徘徊は自宅にいる時だけ発生するわけではありません。どこかに外出中にふっといなくなってしまう、混雑した電車に乗って移動中に突然途中下車してしまうなんてこともありました。我われもGPS付きケータイを持たせるなど対応しましたが、どうしても目を離してしまう瞬間はあると思います。

 今後の日本では確実にこのような経験をせざるを得ない人々が多数出てくるはずなので、社会全体で考えたい問題ですね。地裁・高裁の裁判官もこれを機に学んで欲しいものです。




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