現在の閲覧者数:
無料カウンター
《誹謗・中傷、暴露系ネタ、アラシ厳禁》
突然変異で善意が悪意に…?

2016-04-29 Fri 00:00
 今回、熊本地震では多くの人や企業が募金し、ボランティアとして働き、物資を送り、SNSで情報発信するなど、被災者のために尽力しました。いや、今なお継続して尽力しています。

  私も微力ながら何かしたいと考えた結果、「銀座熊本館」というアンテナショップで熊本県の特産品(農産物)を数千円分購入し、その感想や感動を発信することで熊本の魅力を不特定多数の人々に伝えることにしました。私が支払う購入金額の一部は確実に熊本に流れるでしょ う。また、私は野菜ソムリエなので、こういう方法はとても野菜ソムリエらしいのではないか?そうすることで巡り巡って熊本が潤えばいいな、と期待しています。とはいえ、私なんかに大した力はありませんから、ほとんど自己満足みたいなものですけれどね。


 ところで今回、被災者のためにアクションを起こした人たち、特に芸能人の言動に対して、それを否定するかのような心ない“言葉の暴力”が横行しているようです。例えば、現地在住で被災したタレン トのSNSに「愚痴りたいのはお前だけじゃない」と書き込んだり、500万円もの大金を寄付したタレントを「偽善だ」「売名行為だ」と罵ったり…所詮そんなものは“ノイジーマイナリティによるトイレの落書き”なので気にする必要はないのですが、ネットの発言は目立つし、芸能人絡みだと話題にもなりやすいので過敏に反応する人が多いようです。

 なぜ、彼らはわざわざこのようなことをして人を傷つけるのでしょう?私は恐らく、くすぶった善意が突然変異したのではないかと思っています。

 東日本大震災の時もそうでしたが、私は被災地のために何かしようと頑張っているボランティアの方々や有名人、自衛隊員たちを見ていると、自分も何かやりたい、という気持ちになります。しかしその一方で、(東北は遠いし何日も滞在するのは厳しい)(オレが募金出来るのはせいぜい千円。これっぽっちじゃ役に立たないのでは?)という、“やらない理由”を探してしまう自分もいる。そんな状態で“行動出来る人たち”を見ていると、彼らが活躍する場所は社会そのものであり、その輪に加われない自分は社会から外れた、社会に必要とされない人間のように思え、ジレンマに陥ったものです。

 そんな時、「自分の生活で精一杯だから」と割り切って何もしない、という選択肢もあるわけですが、当時の私のような者に限って「何もしないなんてよくない」と思ってしまう。結局、“行動する”でも“割り切って何もしない”でもない、モヤモヤした行き場のない善意は膨れ上がり、ある時突然変異のように悪意へと変化。言葉の暴力が振るわれるのではないでしょうか?

 分かりやすく言えば、子供の開き直りに近いでしょうか?「なんだよなんだよ!バカの一つ覚えみたいに募金、募金って!!どうせオレは募金なんてしないよ!自分の小遣いを自分のために使って何が悪い!!お前なんかどうせ先生に褒められたいから100円募金したんだろ?!いい子ぶりやがって!!」みたいな(笑) でも本当は自分も募金したい気持ちなんだ、と。幸い私はそこまで壊れることはありませんでしたが、もしそうだとしたら、せっかくの善意を本来あるべき形で表現出来ないのは不幸なことです。

 まぁ、世の中全体を見たら、こうした震災が起きても特に何もしない人の方が多いのかも知れません。人にはそれぞれ事情があるので、他人がよいことをしても、何もしなくても、気にしないのがよいでしょうね。「自分は自分」で十分だと思います。


スポンサーサイト
別窓 | 生活 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑

<<レプリカユニ論 | 瑠璃色幻想曲 | 他人の常識・価値観の“個性”を否定する人々>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 
 
 
 
 
 
  管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
トラックバックURL


FC2ブログユーザー専用トラックバックURLはこちら
| 瑠璃色幻想曲 |